私は5リズムという振り付けのないコンシャスダンスを躍っています。それは音楽をきっかけにして、動きたいように動いていくことでダンスになっていくようなもので、「動く瞑想」と呼ばれています。振り付けがないので、上手下手もなく、だれにも評価されることはありません。
これはとても面白く奥深いものです。人によって動き方のパターンがあったり、日常の行動や自分の心理的なクセに気づいたりします。この体験は、身体が思考の制限から解き放たれ、本来の自由さを取り戻す現象ーー私たちが「アンワインディング」と呼ぶ現象ーーの、まさに入り口となるものです。
身体の欲求と思考の葛藤
例えば、躍っているときに、大きく身体を動かしたいという欲求がでてきたとします。でも、すぐに「こんな狭い部屋で大きく動いたら他の人に迷惑だよね」という思考がよぎります。そのため、本当は大きく動きたいけれど、小さく動いて欲求が通り過ぎるのを待とうとします。ところが、そのまま躍り続けていると、欲求は通り過ぎるどころかより大きくなってきます。そこで「えいっ!」とやってみると、大きく動いても周りの参加者はそれに合わせて動いてくれたり、避けてくれたりするのです。さらに、自分の動きがきっかけになって、他の人たちもその変化を楽しんで流れに乗るように踊っていることに気づきます。また、自分に起こっていた大きく動きたいという欲求も、一緒に場を共有している人たちがきっかけだったことに気づきます。すると、人目を気にして自分を抑えるクセがなくなってきたり、声が小さかったのがお腹から声が出るようになったりするのです。
Unfolding Bodyworkは、身体から思考のクセや感情のパターンを解放するサポートをするのが目的ですが、5リズムはそれを自分自身でやるのです。その点にとても共感し、7年ほど踊っています。
先ほどの例えのように、身体からの欲求を感じても「周りの人の迷惑になるよね」と思考が先にきて行動が制限されることが、日常では多いように思います。ある程度、人目を気にしないと社会では変に目立って不利な立場になることもあるので当然だと思います。しかし、そうした習慣が続くと、まったく話を聞いてくれない親に子どもが話をしなくなってしまうように、身体からのメッセージを感じ取れなくなってしまいます。
思考から身体を解放する
思考が強い人ほど身体がガチガチな人が多いのですが、思考が身体を道具のように扱い続けているからです。これは思考が悪いというわけではなく、日常的に思考を休める時間を作って、身体に意識を向ける習慣が足りていないのです。それは難しいことではありません。毎朝、身体に意識を向けて「今日の体調はどうかな?」「背中が硬い感じがするな」「呼吸は昨日よりしやすいな」と感じてみるだけでいいのです※。
しかし、思考が優位な状態が続くと、そういったことを習慣化するのが難しい人もいます。Unfolding Bodyworkでは、すねてだんまりを決め込んでいる身体にアプローチして、Unfold(緩んでひらいて身体が自由になっていく)するのをサポートしています。そのセッションのなかで、思考から身体を解放し、より自由になるための現象のひとつの「アンワインディング」について、次回書いていこうと思います。
※セッションを受けたことのある人限定で、身体に意識を向けるのを習慣化するアプリ「Unfolding Log」を公開しています。ボディワークを受けたことのある人限定で公開にしているのは、身体に意識を向ける価値を体感していないと、習慣化自体が単なる作業になってしまい気づきが加速しないためです。興味のある方はセッションを受けに来てください。