2011年、私の父が亡くなったことをきっかけに、私はこのボディワークを本格的に仕事にすることを決意しました。今回は、その時の、とても個人的なお話です。
2010年最後の大晦日、父はがんで倒れ、入院することになりました。
抗がん剤治療が始まったのですが、私には、抗がん剤ががんと戦っているようには見えませんでした。ただただ、父の身体が、抗がん剤と必死に戦っているようにしか感じられなかったのです。父自身も、意識が朦朧とする中で治療を止めてほしいと意思表示していましたが、一度始まった治療は途中で止めることができないという病院のルールでした。
私にできることは、ボディワークのセッションしかない。そう思い、私は病室で毎日、父の身体に触れ続けました。つらそうな表情をしていた父も、私が身体に触れると、どこか嬉しそうで、安心したように落ち着いていくのが分かりました。
触れていると、あることに気づきました。
ときどき、生きている人を触っている感覚がなくなり、まるで「もの」のように感じるときがあるのです。そして、次第にその時間が長くなっていきます。すると、父は、こちらの世界ではない話をし始めるようになりました。私はそれを否定することなく、ただ身体に触れながら聞いていました。
入院から2週間ほど経ったある日、私は重大なことに気づきました。
父は、私が身体に触れるのが嬉しくて、逝くに逝けなかったのではないか。
ボディワークは、クライアントが「より良い状態」になるためのサポートをすることが前提です。しかし、その時、私は「治ること」と同じくらい、「死ぬことも尊重されなければならない」のだということに気づいたのです。
この気づきを得た私は、その場で父に最期の挨拶をして、当時一人暮らしをしていた家に戻りました。
その2日後、朝起きたとき、私の背中に手の感触がありました。それは、父からの「応援しているよ」という気持ちを感じる、温かい感触でした。父が来たのかな、と思いつつも、いつもの日常に戻ろうとしていると、その日の夕方に父が亡くなったという連絡が入りました。
この経験は、いま、ボディワーカーとしての私の強さになっているように思います。
それは、どんな状況にある方が来られても対応できる、揺るぎない強さです。過去には、亡くなる直前に病室に呼ばれてセッションをしに行ったこともあります。ご本人は元気になるためだったと思いますし、私も元気に復活してほしいと心から願いました。残念ながらそれは叶いませんでしたが、治療によってボロボロになってしまった身体を、最期に優しく緩めてあげることは、何にも代えがたい大切な時間になると信じています。
こうした経験を経て、「治る」ことだけでなく、「死」さえも尊重できるという気づきを得たからこそ、私は、Unfolding Bodyworkを通して、どのような状況にある方にも、その方が持つ「内なる力」を信頼し、寄り添い続けることができるのだと思っています。